シコクビエ(四石稗、学名:Eleusine coracana (Linn.) Gaertn. 、英名:Finger millet)は、イネ科オヒシバ属 Eleusine の栽培植物。穎果を穀物として食用にする作物である。
栽培化が行われたのは東アフリカ高地と推測されている。かつては同じオヒシバ属で最も近縁なオヒシバ E. indica (L.) Gaertn. を作物化したものと思われていたが、2倍体で染色体数が2n=18のオヒシバに対し、シコクビエと同じ4倍体で染色体数2n=36の野生種がアフリカで発見され、1994年にシコクビエの亜種として Eleusine coracana Gaertn. subsp. africana ( Kenn.-O'Byrne ) K.W.Hilu & J.M.J.de Wet と命名され、これがゲノムの詳細な分析などによってシコクビエの原種であることが確定した。オヒシバ由来のゲノムは栽培シコクビエには入り込んでおらず、栽培種としてのシコクビエの成立にオヒシバが関与したとする仮説は否定されている。
栽培は西アフリカから中国、日本まで旧世界の広い範囲にまたがっているが、主穀として利用するのはインドの一部及び東アフリカである。ウガンダ、マラウイ、エチオピア、ザンビア、ジンバブエなどで重要な穀物となっている。[1]
東アフリカでは、食用として利用する他、稗芽の糖化作用によって、いわゆるどぶろくが作られている。また、ヒマラヤ地域では酒原料の基幹であり、ヒマラヤでは固体発酵したシコクビエを青竹の中へ入れ、上から熱湯を注いで、その中に細い竹を入れ、ストローでジュースを飲むように飲むチャン (酒)と呼ばれる酒があり[2]、ベンガル、低ヒマラヤでは「Maura(ムラ)」とよばれる麹が作られている[3]。
發根が旺盛である為、移植栽培に適し、種をまいてある程度成長したところで植え替えが行われる。中尾佐助はこの作物が古い場合にこの栽培が「田植え」の起源である可能性を示唆している[4] 。
中国では「滲子」[5]、「竜爪稗」、インドで「Ragi」、スリランカでは「Corakan」[6]、ニグロ語で「Uimbi」、アビシニアで「Dagussa」 アフリカ奥地では「murwa」、 ザンデ語で「moru」、アラビア語で「telebum」、サンスクリット語で「rajika」、ヒンディ語で「mandua」「Mandal」、ベンガル語で「Marua」、マラーティー語で「NAGLI」「NACHOI」 グジュラート語で「Bavto」「Nagli」、テルグ語で「Ragulu」、タミル語で「Ragi」「Kelvaregu」、カナラ語で「Ragi」、マラヤーラム語で「Muttari」、セイロン語で「Koraken」、ネパール語で「Kodo」(कोदो)と呼ぶ。[7]ケニアのキクユ語では mũgĩmbĩという呼称である[8]。
スーダン一帯では「Murwa」系の呼称が使われ、ベンガル語の「Marua」はネパール、シッキムにも分布している。
なおネパールからセイロン辺りで使われる「Kodo」はシコクビエのほかにスズメノコビエ(Paspalum scrobiculatum)も指す。[9]
チョウセンビエ、カラッピエ、コウボウビエなどとも呼ばれる。
石川県白山市白峰地区では、実の形がカモの足に似ているということから、「かもあし」転じて「かまし」と呼ぶ。
米食が普及する以前には、日本各地で栽培されていたと考えられている[10]が、現在の日本では四国や中部地方の山間地域など、わずかな地域でしか栽培が確認されていない。日本では粉に挽いておねりや団子として食べられたことが多かったが、粥にして粒食することもあった。日本人による味の評価は非常にまずいとするものと美味とするものに極端に分かれるが、まずいとする記述はおおむね粒食に対する評価であり、美味とするものの評価は粉食に対するものである。20世紀に入ってからは、青刈りと呼ばれる家畜の飼料として栽培された。シコクビエ粉は、インドなどでの名称にちなんでラギ粉とも呼ばれている。
佐々木高明によれば、 一般的な食べ方はネパールと日本で共通して、鍋で湯を沸かし、その中へ粗割りしたシコクビエを入れて炊く。というものであるが、他にa脱穀の後、臼で搗いて粉にし、蕎麦がきのようにして食べる。bその粉を炊いて、一種の粉がゆにして食べる、また、c煎ってはったい粉のようにして食べる というものがある。[11]