Diomedea albatrus Pallas, 1769[2]
和名 アホウドリ[2][3] 英名 Short-tailed albatross[1][2][3]アホウドリ(信天翁[4][5][6]、阿房鳥[4][6]、阿呆鳥[7][5][6]、Phoebastria albatrus)は、ミズナギドリ目アホウドリ科アホウドリ属に分類される鳥類。信天翁の漢字を音読みにして、「しんてんおう」とも呼ばれる。尖閣諸島の久場島にはこの名にちなんだ「信天山」という山がある。長崎県で古くから呼ばれているオキノタユウ(沖の太夫、沖にすむ大きくて美しい鳥)に改名しようとする動きもある[8]。
夏季はベーリング海やアラスカ湾、アリューシャン列島周辺で暮らし、冬季になると繁殖のため日本近海への渡りをおこない南下する[9][10]。鳥島と尖閣諸島北小島、南小島でのみ繁殖が確認されていた[11][12][13]。 2011年と2012年、2014年にはミッドウェー環礁でも繁殖が確認された[14]、2015年には小笠原諸島媒島で戦後初となる繁殖が確認され[15][16]、以降小笠原諸島でも繁殖が見られる[17]2018年5月29日、山階鳥類研究所などが小笠原諸島聟島でひな1羽が巣立ったと発表した。[18]
全長84 - 100センチメートル[10][13]。翼開張190 - 240センチメートル[12][13]。体重3.3 - 5.3キログラム。全身の羽衣は白い[3][9]。後頭から後頸にかけての羽衣は黄色い[3][9][10][13]。尾羽の先端が黒い[3][10][11][13]。翼上面の大雨覆の一部、初列風切、次列風切の一部は黒く、三列風切の先端も黒い[12][13]。翼下面の色彩は白いが外縁は黒い[3][10]。
嘴は淡赤色で[3][10][11]、先端は青灰色[13]。後肢は淡赤色[3][10]、青灰色で[13]。水かきの色彩は黒い[12]。
雛の綿羽は黒や暗褐色、灰色。幼鳥は全身の羽衣が黒褐色や暗褐色で、成長に伴い白色部が大きくなる[10][12][13]。
以前はDiomedea属に分類されていたが、ミトコンドリアDNAのシトクロムbの分子解析からPhoebastria属に分割された[19]。
種内ではミトコンドリアDNAの分子解析から、鳥島の繁殖個体群のうち大部分を占める系統と、鳥島の一部(約7%)と尖閣諸島で繁殖する系統の2系統があると推定された[19]。約1,000年前の礼文島の遺跡から発掘された本種の骨でも同様の解析を行ったところ、同じ2系統が確認されたため少なくとも1,000年以上前には分化していたと推定されている[19]。この2系統の遺伝的距離はアホウドリ科の別属の姉妹種間の遺伝的距離と同程度なため、将来的には別種として分割される可能性もある[19]。尖閣諸島で繁殖する系統は手根骨が短いため翼長も短く、鳥島の系統と比較して巣立ちが2週間早いとされる[19]。
繁殖様式は卵生。集団繁殖地(コロニー)を形成する[3]。頸部を伸ばしながら嘴を打ち鳴らして(クラッタリング)求愛する[3][10]。斜面に窪みを掘った巣に、10 - 11月に1個の卵を産む[9][11]。巣を作るのは、通常、雄の役目であるが、雌が作る様子も確認されている[20]。雌雄交代で抱卵し、抱卵期間は64 - 65日[9]。生後10年以上で成鳥羽に生え換わる[13]。
羽毛目的の乱獲、リン資源採取による繁殖地の破壊などにより生息数は激減した[2]。和名は人間が接近しても地表での動きが緩怠で、捕殺が容易だったことに由来する[5][9]。1887年から羽毛採取が始まり、1933年に鳥島、1936年に聟島列島が禁猟区に指定されるまで乱獲は続けられた[9]。当初は主に輸出用だったが、1910年に羽毛の貿易が禁止されてからも日本国内での流通目的のために採取され計6,300,000羽が捕殺されたと推定されている[3]。以前は小笠原諸島・大東諸島・澎湖諸島でも繁殖していたとされるが、繁殖地は壊滅している[2][3][9]。また彭佳嶼、西之島でも繁殖していたとされる。1939年には残存していた繁殖地である鳥島が噴火し、1949年の調査でも発見されなかったため絶滅したと考えられていた[3]。1951年に鳥島で繁殖している個体が再発見された[2][3][9][10][21][22]。以降は測候所(後に気象観測所)による監視と保護が続けられていたが、1965年に火山性群発地震による気象観測所の閉鎖に伴い保護活動は休止した[9][21][22]。1976年から調査や保護活動が再開しハチジョウススキ(1981年・1982年[21])やシバの植株と土木工事による繁殖地の整備、1992年には崩落の危険性が少ない斜面に模型(デコイ)を設置し鳴き声を流す事で新しい繁殖地を形成する試みが進められ繁殖数および繁殖成功率は増加している[9][22]。1971年に南小島の個体群も再発見され[2][21]、1988年には繁殖が確認されている[11][19][22]。2001年に北小島での繁殖も確認された[11][19]。2014年には小笠原諸島の媒島で雛が発見され、さらに2015年2月、同島に生息するつがいが発見され、両者の羽毛のDNA解析から親子関係が証明され、小笠原諸島で戦後初の繁殖確認となった[15][16]。
ウィキソースに天然記念物を特別天然記念物に指定する件の文化財保護委員会告示文があります。 ウィキソースに特別天然記念物鳥島のアホウドリおよびその繁殖地の名称および指定地域を改める件の文化財保護委員会告示文があります。日本では1956年3月3日に「鳥島のアホウドリ及びその繁殖地」として天然記念物に仮指定[23]、1958年4月25日に「鳥島のアホウドリおよびその繁殖地」として国の天然記念物に指定[24]、1962年4月19日に特別天然記念物に指定、1965年5月10日に特別天然記念物の名称が「アホウドリ」へ変更された。1993年に種の保存法施行に伴い国内希少野生動植物種に指定されている[9]。1951年における生息数は30 - 40羽、1999年における生息数は約1,200羽と推定されている[22]。2006 - 2007年度における繁殖個体数は約2,360羽(鳥島80%、尖閣諸島20%)と推定されている[19]。2010年における調査で鳥島集団の総個体数は2,570羽と推定された[25]。
鳥島で火山活動が活発化する兆しがあるため、小笠原諸島の聟島に繁殖地を移す計画が2006年から進められている。鳥島で産まれたアホウドリの雛の一部を聟島に運んで育てることで、聟島を新たな繁殖地として認識させるというもので、2012年12月時点では、2008年から2009年にかけて旅立った25羽のうちの12羽が帰島している。また、NHKのカメラによってつがいが産卵していたことも確認された[26]が、孵化はしておらず未受精卵だった。その後、2015年2月に聟島の隣の媒島において、育てたアホウドリが繁殖していたことが確認されている[27]。